野稲ついに餅に

  • 2008/12/06(土) 23:36:38

12月6日《雪》

昨晩から降り続いた雪で、高原は真っ白になりました。
予定していた、「会員親睦餅つき」、それでも決行です!!
いつもの事ながら、たくさんの皆さんに来ていただきました。
感謝です。 ありがとうございました。

これが、蒸しあがった野稲の玄米。
(「ゆめのはたもち」という陸稲です)
実は、由良野の住人の中では、今日のメインはこの野稲が餅になる・・ということでした。 

この夏の旱魃を乗り越え、雑草との競争にも
懸命に挌闘して育ったこの野稲。愛しさ100倍です。
里のおじさん曰く、「これが完全無農薬っていうもんよ」との事。
虫食いも、少々の黒ずみもぜんぜん気にならないくらいです。
昔はこんなお米を食べていたのでしょう。 

手仕事にかけた米は、一粒も貴重です。

ちょっと茶色い雑穀餅の感じ。
絶品です!! (自画自賛・・・)ん?
何もつけなくてもとっても甘い、味のある餅に出来ました。

雪だったので、急遽「工房」で頂きました。
お汁の野菜も、沖縄ぜんざいの小豆も今年の由良野産です。
なんて豊かな食卓でしょう。

一緒に分かち合える仲間に感謝。 ありがたいと心から思いました。

さて、気合十分の餅つき合戦。
今年はどのチームが最優秀「みんなを楽しませたで賞」でしたか??

由良野の野稲、精米しました。

  • 2008/12/01(月) 22:15:55

12月1日晴れ。
6日の餅つきの準備です。

今日は、籾殻をきれいにとばして玄米だけにする作業。
以前から、使う機会を待って工房の奥にしまわれていた「唐箕(とおみ)」。

ガラガラ・・・とハンドルを回すと風が起こって、籾殻とお米に分かれていく仕組みです。
『これは画期的!!』
 
「箕」扱いが上手でなかった人はきっと、そう思ったに違いありません。
もちろん私も・・・。
微妙な調節もできるようになっていて、感動しました。 
便利になると、頭を使わない・・・ってほんとですよ、きっと体もね。
そして、感動する心もついてきます。 この手作業。


精米したお米。 
もったいないので、玄米のままで餅つきしたいと思っています。

イノシシにやられた分と来年の種籾を差し引いて、10キロのもち米ができました。
さて、最終ゴールは6日の餅つきです。 いよいよここまで・・・!!

餅つきに向けて 野稲(陸稲)の籾摺り

  • 2008/11/25(火) 22:33:15

陸稲、次の作業は・・・?
11月26日 晴天 
ようやく、由良野の森、初収穫したお米を精米する過程が前進です。

「ケンド」と方言で呼ばれているこの、ふるいで、まずモミと藁くずを分ける作業です。
陸稲のを畑にまく作業から、ずっと「先生」をしてくださっている、和子おばさん。
今日は、和子おばさんのうちへお邪魔して、倉庫の中にあった、色んな
道具もお借りしました。

「アー!もったいない!」。なかなかおばさんのようには出来ません。
「それは、鶏におやりよー」 「エー、もったいないなあ」。
どんなくずに見えても、一粒が貴重。  
「何でも、自分でやったら同じ米でも、値打ちがあるけんな・・・」と和子さん。

「箕」(み)で、更に、モミやくず藁をとばします。この作業を「さびる」といいます。
昔は、この作業がうまいと「いいお嫁さんになれた」そうな・・・。
こんな作業も、昭和の時代で見られなくなったことの一つだそうです。
石臼でもみを摺る作業。
これを更に「箕」でさびると玄米の状態が出来上がりました。



まだ、この先の作業が残っています。 
いったいどれ程の、知恵と労力がお米一つにかかっているのだろうと、改めて思います。 
「米粒一つ残すでないぞ」「お百姓さんの汗が詰まったものだから・・」
そんな風によく親が言っていたことを、改めて思い出しました。
おばさんと同じ昭和一桁の人たちです。

私たちのつい一つ、二つ前の世代の日本人が、どんな風に暮らしていたのか。
何を大事にしていたのか。
一つの体験を通して、感じることがたくさんあります。 
私たちは、今一度再発見して、日々の暮らしや心がけに取りいれるといいと思うのです。 
今の私たちには、本当の体験が必要なのだと思います。
今ならまだ、先生がたくさんいます。

どんなにか沢山の苦労をして、戦争を乗り越え、子育てしてきたのでしょう?。
おばさんは、何もかもを超えて、あまりに素敵に笑うのです。

あんな笑顔のおばあちゃんになれるかな?
そんなことを思いながらの、午後でした。

さて、12月6日の餅つきが楽しみになってきました!!
由良野の森でお待ちしています。
皆さんのお手伝いも大歓迎です。 天気を祈りましょう。

野稲(陸稲)の脱穀

  • 2008/10/19(日) 23:20:12

19日晴れ  
初めての野稲栽培。ついに脱穀までいきました。
いつもながら、天候の具合と数々の行事の合間を縫って
「さー、今日やります!」となりました。
というわけで、連絡できなかった皆さん。 ごめんなさい。

脱穀機をエアーできれいにしているところです。
この脱穀機。 何といつもの事ながら、久万高原町のクリーンセンターで拾ってきた
めっけものです。 こんなすごい機械を捨てるほど、今の機械は便利なのでしょうね・・・。

消えかけた商標を読んでみました。
かすかな文字には 兵庫県とありますが、「県」という文字が昔の字です。
里の80歳のおばさんいわく、「私が子供の頃には、もうそれを使っておったわい」との事。
昭和に入っても、つい20年位前までは現役だったそうです。 

マラソン大会の後なのに、疲れも見せずに来てくれた子供たち。
楽しかったのでしょうか、飽きもしないでトラック2杯分の脱穀を交代で
がんがんやってくれました。

千羽こぎ、ともいわれるこの機械。 太い針金がたくさん打ち付けてある
丸い輪が足で踏むとぐるぐるまわります。
それに稲穂を押し付けるように、やや引っ張り加減で当てると(これが結構難しい)
バラバラ!!!と音を立ててお米が外れます。
四方に飛び散るので、周りはござで覆っておきました。
よく実っているものと、そうではないものとは音で分かる・・・!?


お米の取れた後の藁束で遊ぶ子供たち。
由良野の兄弟と峠一つ向こうに住んでいる高野大地君、稜太君です。
お手伝い、というか主力で働いた疲れ知らずの4人。 
次々と遊びを思いつきます。見ていて楽しい大きなかやねずみの巣? 
果ては基地ごっこに走り幅跳びの着地にまで汗だくで遊んでいました。

乾いた藁の香りはホントに素敵で、子どもでなくても「藁のベットで眠ってみたい」。

藁はこの後色んな使い道があるので大事にとっておきます。
わらぐつ、わらぞうりなどを教えていただこうと計画もしていますが、
わら布団・・・もいいかも。 ・・・ですねえ。

はじめての稲刈りやりました。

  • 2008/10/06(月) 21:38:45

10月6日曇りのち晴れ。 やりました稲刈り。
本当は昨日する予定だったんだけどな、みんなで・・・。

この夏の少雨を挽回するかのように、昨日はまったくよく降りました。
久しぶりに大川も川岸一杯まで水が流れています。
まあ、今日一日乾かしてからボチボチ稲刈りしますか・・・なんて、
ヘルプを申し出てくれた奇特でありがたい友人に話していた矢先。

「今日刈るよ! イノシシが入ってる・・・」と、お父さんの声。
「エー!稲刈りには幼稚園休むっていってたよ、あの子・・・やる?」
「やります」
「稲刈りなので幼稚園休みます!」宣言をしていた次男。大活躍。園から帰って間に合いました。

午前10時に始めた稲刈り。 何しろはじめてです。 里にお住まいの
和子おばちゃんに前もって教わってはいたものの、段取りも何も手探り。
この春までは荒地だった開拓地には、開拓以来、たくさんの有機肥料
(落ち葉や籾殻、草マルチなど)を入れました。
あの日照りの夏を乗り切って実りを迎えたかとおもうと、感無量。 
ずいぶんふかふかになった土地には生きものも一杯。

野稲の畑に住んでいた大きなガマガエル。 カマキリ、バッタにこおろぎ。

鎌で稲を刈ったら、藁を2,3本ずつ使って稲束を束ねていきます。
「あれ・・・?おばちゃん、あんなに簡単そうにやってたのになあ。」

これ、なかなか難しい。昔は子供でも出来たのかなあ・・・??? 
うまく出来始めた頃には指は痛いし、つめは真っ黒。 
肌も荒れてあちこち痛い・・・。
手だけは立派なお百姓さんのように見えました。

行くぞ、ばあちゃん!!
午後から手伝いに来てくれた祖父母と、稲の束を稲木にかけているところ。 
急いで始めたので、稲木はポールを組み立てました。 
「情緒ないなあ・・・」
「それどころじゃないでしょ。日が暮れるよ!」 「はーい」
お兄ちゃん、教えてあげよか? 見たら分かるってば。
午後5時。 学校から戻った長男も早速手伝い。

日もとっぷり暮れて、ようやく終了。
出来はさておき、由良野の森初の米作り、幸せな心地よさで満たされました。

乾燥が終わったら、この後 脱穀、もみすり・・・と続きます。
機械を使わず昔ながらの方法で全工程を進む予定です。
もちろん全部習いながらですよ! ご一緒にいかがですか?